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近江の国は、古来より人々や物資の往来が盛んで様々なものが行き交いました。都にも近いこの地を支配することは天下を治めることであり、近江の国を舞台にした戦は数多く「近江を制するものは天下を制する」という言葉もあります。

戦に欠かすことのできない「城」は、日本国内には約3万~4万あり、滋賀県内に1300を越えるとされています。この数は、都道府県別では全国で4番目、分布密度で見れば全国で最も高くなります。近江八幡市や東近江には、鎌倉時代から活躍した近江守護の佐々木氏やその家臣が築いた城が多いのが特徴です。一般的には“城”というと姫路城などの形式をイメージされますが、いわゆる近世の城郭は安土城以後のものとされています。

繖山は近江八幡市と東近江市にまたがる標高432.5mの山です。かつて繖山には、中世五大山城の一つに数えられる近江守護の佐々木六角氏の居城“観音寺城”がありました。佐々木氏は、応仁の乱の頃から観音寺城郭を整え、16世紀前半頃に完成させたと言われています。安土城以前の城としては唯一と言える城域全体を石垣によって築かれた要塞として、石垣を多用し排水機能が供えられるなど、その技術の高さは特筆されます。一方で、茶室なども備えていたとされ、風雅な生活も垣間見えます。

繖山内にある桑實寺(くわのみてら)には、足利将軍第12代の義晴が室町仮幕府を開設した他、最後の将軍15代の義昭が滞在したこともあります。お城としては、永禄11年(1568年)の織田信長の攻撃に際して、佐々木氏が城を放棄したことにより観音寺城の歴史を閉じましたが、その近くに安土城が築かれるなど歴史の舞台として注目を集めました。

繖三観音(観音正寺、石馬寺、善勝寺)は繖山を囲むように位置しています。歴史の舞台となり今もなお多くの人が集う“繖山”。山中はハイキング道もあり、どなたでも入山は可能ですが、十分な準備無理のない計画でお楽しみ頂きますようお願いします。

*佐々木氏について
近江の歴史を語るうえで必ず登場する佐々木氏。宇多天皇の皇子・敦実親王が佐々木荘を本拠として佐々木氏を名乗ったことから始まります。源頼朝が挙兵した際に鎌倉幕府の創設に貢献し近江国を領しました。その後、大原、高島、六角、京極などに分家しましたが、近江国を二分する形で領有した六角氏と京極氏は互いに繰り広げることになりました。

*その他資料
滋賀県教育委員会 埋蔵文化財活用ブックレットより 観音寺城跡

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